焼け跡から運び出した竹を加工する機械を見つめる三重野正行さん。35年間、愛用していた=19日
別府市光町の大火から1週間。焼け跡にある家族経営の竹製品工場では、後片付けが始まった。工場再建の日は遠いが「普通の人が気楽に使える竹製品をずっと作ってきた。この仕事が好きやから続けたい」と経営する三重野正行さん(64)。少しずつ気持ちを切り替えようとしている。
正行さんは双子の兄の正友さん(64)と「三重野竹製品工業所」を営む。「戦前の祖父の代から続いてきた」という。兄弟と2人の妻の計4人で切り盛り。竹を細長い棒状に割って整えた「突き棒」と呼ばれる材料を使い、機械を駆使して、手ごろな価格のくま手や風鈴、一輪挿しなどの製品を作ってきた。
精密な穴を開ける機械など、ほとんどの機械が焼けた。使いやすいようにと、近くの鉄工所と相談しながら作った独自の構造だったが、その鉄工所は既に廃業。再建時の「見本」にするため、取りあえず焼け跡から機械を運び出した。
機械を含め、本格的に工場を復旧するには費用も時間もかかるが、2月の出荷に向けて作っていたくま手が焼けてしまった。「ゆっくりはできない。仕事をせんと」。これから現場近くの自宅にある小規模な工場で作り直すという。
正行さんは「竹ひごで、かごを編む所は残っているが、割り竹製品を作る業者は、別府ではうちが最後じゃないか」と話す。近くにあり、竹細工の材料を扱う永井製竹の永井貴美代常務(80)も「昔は大量生産ができる工場が何軒もあったけど、ほとんど消えてしまった」という。
「不景気で、生活にゆとりがないと竹製品には手が伸びにくい」と正行さん。後継ぎはなく、自分の年齢を考えると、もう一度設備投資をすることに不安もあるが、「おやじから教わった愛着のある仕事やし、ほそぼそとでも続けていきたい」と話している。
窓口を一本化 市が火災対応会議
相次ぐ火災で2人の死者が出たことから、別府市は19日、火災対応全体会議を市役所で開き、今後の対応などを協議した。光町を中心に27棟が全焼した火災では、災害復旧、被災者支援など関係業務が広範囲にわたるため、今後は窓口を自治振興課危機管理室に一本化することを決めた。
浜田博市長や各部長ら16人が出席。浜田市長は「被災者の気持ちとなり、全庁態勢で万全の対応を」と呼び掛けた。関係部署から火災状況や被災者の市営・県営住宅への入居状況などの報告があった。
被災者には条例に基づき、市民税や固定資産税、上下水道使用料などを減免する。光町付近の被災者には印鑑証明など市の各種証明書を無料で発行する。
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