別府市 大火災

別府市戦後最悪か 部分焼を含め被災40棟

[2010年01月17日 10:21]

火災現場(左側)に近い家屋は熱風などで被害を受けた=別府市

 別府市南部地区の住宅密集地で13日深夜から14日朝にかけて発生した火災で、壁の部分焼などで少なくとも近隣家屋の17棟、14世帯・34人以上が被害を受けていることが16日、大分合同新聞社の調査で分かった。全焼した民家やアパートを合わせた被災総数は40棟、40世帯・90人を超えるとみられる。大惨事となった松原火災(1992年2月)を上回り、同市では戦後最悪の大火となる可能性がある。

 周辺住民に聴き取りをして、被災の有無や状況などを調べた。それによると、市道(幅約6メートル)を隔てて火災現場に対面する建物の被害が著しく、迫る炎で外壁が焦げ、雨どいなどが溶けた家屋もある。延焼を防ぐための放水で屋内が水浸しになった家も多かった。
 火災発生時は山側から海側に向かい、地元で“鶴見おろし”と呼ばれる強い風が熱風となって風下の地域を襲った。近くの川浪隆さん(87)は「多くの木片が燃えながらベランダに飛んできて、プラスチック製のひさしに5センチほどの穴が何個も開いた。最初は足で消していたが、途中であきらめて逃げた」。
 市消防本部によると、火災当時の最大風速は23・3メートル。現場から約600メートル離れた同市千代町の男性(74)は「自宅の上空を見上げたら別府湾の方向に、煙とともに大量の火の粉が飛んでいた。(自宅から200メートル先の)海岸線まで達していたのではないか」という。
 飛び火でアパート(木造2階)の屋根下から出火し、消防団の消火活動で災難を免れた4人家族の妻(39)は「天井、壁、畳…。放水で家の中はめちゃくちゃになったが、建物全体に火が回らなかったことは不幸中の幸い」と話す。
 松原火災では25棟が全半焼・部分焼、36世帯・90人が焼け出された。県警によると、今回は全焼が27棟で、その被災者は31世帯・57人。
 全容把握を急ぐ市消防本部は「部分焼や放水による損害など、被災状況をすべて把握するにはまだ時間がかかる。県警と合同で調査し、なるべく早くまとめたい」としている。

別府市と日赤 見舞金支給へ
 別府署と別府市消防本部は16日、同市光町の火災現場で行方不明者の捜索と実況見分を続けた。
 災害救助犬2匹を投入し、全焼した区域全体を捜索したが、行方不明者の発見につながる手掛かりは得られなかった。17日は午前10時に再開する。
 別府市は16日、全焼した世帯に災害見舞金として市から5万円、日本赤十字社別府市地区から2万5千円がそれぞれ支給されることを被災者に説明した。

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