おおいた遺産

(81)龍岩寺

[2010年05月17日 14:51]

龍岩寺奥の院の礼堂に並ぶ素木の(右から)薬師如来、阿弥陀如来、不動明王(写真上)と、懸造りの小さな礼堂

 大きな岩窟(がんくつ)に、まるで投げ込まれたかのような懸造(かけづく)りの小さな礼堂(らいどう)。龍岩寺奥の院である。内部に入ると、素木(しらき)の三体の仏像が浮かび上がるかのような姿で訪れる人を迎える。思わず目をつむってぬかずきたくなる。
 宇佐市院内町の恵良川から支流の院内川沿いにさかのぼり、大門(だいもん)に龍岩寺がある。裏手の山道に入り、さらに岩壁の道を横に伝うと、眼前に奥の院が全容を現す。足元は谷。一本の大きな木に刻みをいれて作ったはしごがある。がけ道ができるまではこれを登ってきたのだろう。
 礼堂は桁行(けたゆき)3間、梁間(まはりま)2間。屋根は外陣(げじん)のみ片流れの板ぶき。床下の土台桁は両方の岩盤に架け渡され、これを三本の柱でしっかり支えている。
 正面蔀戸(しとみど)横の板戸を開けて入ると、板敷きの外陣から格子を隔てて内陣の仏たちと対面できる。内陣には屋根がない。岩の天井が屋根代わりである。
 木造の仏は向かって右から薬師如来、阿弥陀(あみだ)如来、不動明王で、高さはいずれも3メートル前後。一木造りで木の肌そのものの白さ。ただ、結跏趺坐(けっかふざ)する腰から下は横材を使っている。
 ゆったりと座る三体の彫り方は大胆。しかし、お顔は気高く、肢体も優美。比較的簡単な手法から見て、岩窟の磨崖仏(まがいぶつ)から木彫仏への過渡期の作で、藤原中期のものと推定される。礼堂には「弘安九年」(1286年)の墨書銘があり、当初は単なる仏壇に仏のみがおわしたらしい。いわば、仏を守る建物ではなく、仏を隠すことによって身近に仰がせるものか。おかげで仏は自然光の下、白く浮かび上がる。ともに国指定の重要文化財。
 伝説では、天平18年(746年)、行基(ぎょうき)が宇佐神宮に詣でる途中で大雨に遭い、当地に宿ってクスで仏を彫り、寺を開いたとか。当初は天台宗に属していたが、後に禅宗に変わった。

文  梅木秀徳
写真 宮地泰彦

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