おおいた遺産

(80)真玉歌舞伎

[2010年05月10日 15:11]

地域の熱意に支えられ、200年以上の伝統を持つ真玉歌舞伎。保存会の人たちが舞台に立ち、地元の中学生も特別出演している

 ご存じ「白浪(しらなみ)五人男」の勢ぞろい、舞台で見えを切る中学生。続いては「雪の曙(あけぼの) 伏見の里」で大人たち。舞台と客席が一体となって、鳴りやまぬ拍手と歓声で盛り上がる。なにしろ、舞台に立つ人も客席の人たちも、日ごろからの顔なじみ。道で会えば声を掛け合う仲だ。
 真玉歌舞伎は保存会の人たちにより演じられ、真玉中学校の生徒たちも特別出演。200年以上の伝統を持つという芸能がしっかり守り継がれている。と言って、連続してきたわけではない。長い中断を経て戦後に保存会ができたものの、それもお定まりの高齢化、後継者不足で一時は活動停止。それが今、見事に復活しているわけ。
 真玉地域にはかつて、歌舞伎や神楽などの多様な芸能が生活の中に生きていた。それを廃れさせてはいけないと、地域の熱意が実った。一つのきっかけは市町合併だったともいう。真玉の名を消してはいけない。人々の思いと行政が一致し、かつての町役場が文化センターとなり、舞台は提供された。この力がある限り、真玉歌舞伎はさまざまな場で拍手を浴びるだろう。
 昔、大分県内では各地に歌舞伎や人形芝居があった。同じ豊後高田市では算所芝居が知られていたし、中津市には有名な人形芝居があり、これは北原参所と呼ばれていたようだ。算所も参所も「散所(さんじょ)」に由来すると思われる。古代に社寺や領主に芸能や交通運輸などで仕えた集落である。県内では宇佐八幡と一連の八幡社が散所を持っていたと推測してよかろう。
 真玉は真玉、算所は若宮、北原は宇佐、ほかに国見田舎歌舞伎は伊美別宮、杵築歌舞伎は杵築若宮の各八幡に伴うのか。杵築歌舞伎の衣装は歴史資料館に残り、貝原益軒の「豊国紀行」に「諸国を回り歌舞をなし傀儡子(くぐつ)を操る」と記録されている。

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